僕自身、神戸市ではなかったので、瓦礫の中から人を救助するとか、炊き出しをもらうとか、体育館に避難するとかはなかったんですが、市営住宅がその後全壊判定を受けて建て替えられました。
神戸市東灘区深江本町~芦屋市境で、阪神高速3号神戸線の高架が落ちている現場から取材を行った、住田功一アナウンサー(神戸市灘区が実家)の当時の映像と、現在の住田功一さん(NHKを退局)の様子を集めた映像がありましたので、謹んで掲載させていただきます。
1.17動画アーカイブス/その時 取材者は
住田功一さん、お若いでしょ? あれから28年。僕は当時25歳でした。尼崎市南部に向かう道の、山陽新幹線の高架が地面に落ちている状況で、尼崎市営バス(当時)も迂回して走る始末。未使用の灯油用ポリタンク(これに水を入れて運ぶのです)18リットル×2を求めに、はるばる阪急京都線の長岡天神駅の金物屋さんに行って、阪急京都線長岡天神駅のホームで水を汲んで帰って来た時のこと。区分地図で、近所の浄水場を探して、チャリンコで伊丹市の千僧浄水場まで往復したあの日のこと。
いろいろ思い出させますが、お洒落なハイカラタウンが灰燼に帰したあの日のことを思うと……。
ではでは(・∀・)ノ
パソコンのお医者さん 神戸が灰燼に帰したあの日 ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝
0コメント