なんだか、父母が病気で死に晒した時を思い出してしまいました。どちらの斎場にも行き、特に母親は、直接葬儀をし(家族葬)直接(葬儀業者さんの力を借りて)自分で斎場に持ち込み、焼いてもらった、荼毘に伏してもらった経験があるのですよ。
どんだけ威張っていた人でも、どんなに饒舌な人でも、どんなにおカネを持っていた人でも、それらを、天国や地獄に持ち込むことは出来ないんです。死んだら終い。無に帰すだけです。ちょっと酸化した骨片になり下がるだけなんです。
どんな偉人も有名人も、どんな金持ちも大富豪も、死んだら終いなんです。無に帰るだけなんです。
そこには、何も持って行けない。言葉も、思い出も、名誉も、肩書も、履歴の全ても持っては行けないんです。
【Ado】永遠のあくる日
そこには、何も持って行けない。意識も、無意識さえも、何も持っては行けません。思い出も、言葉も、全てが無に帰するだけなんです。終わりなんです。
「あの世があるといいね」と願う行為は、人間の儚い希望なんです。この世の続きのようなことが、もしあの世があるのなら、僕たちはどうなるのだろうと、儚く願う祈りの一種なんです。
もしも本当にあの世があって、ここから見えるのなら、ここから一度見て見たいもんです。でも、実際に見られない、見に行けないということは、次に来るのは、自分が無に帰した世界だからなんでしょうね。もし本当にあの世があるのなら、ここから一度は拝見したいものです。
僕はとりあえず、来世なんか信じない。転生なんてあり得ない。そう思っています。
もし、人生が二度あってごらん? ややこしいことこの上ないです。だからこの世は、多分、人生は一度きりなんでしょうね。誰かが言いました「人生二度なし」ってね?
でも、本能がそうさせるのか、なぜか両親祖母の遺影の前に、影膳をして、ご飯を取り替えて、なんてするのは、どうしてなんでしょうね。可笑しいね。もう、どんなに泣いたって、叫んだって、もう二度と、戻っては来やしないのに。
ではではー。
パソコンのお医者さん 両親を荼毘に伏したからね ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝
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