ごきげんよう、ネットウイングス田所です(・∀・)ノ うちの母親、米寿でお亡くなりになった田所郁子さん。明治女に育てられた昭和一桁でしたんで、とても躾には厳しかったです。それはもう、躾に関しては誰よりも厳しかった。
ちょっと口応えしようものなら「あんた、何言ってんのー!!」って、長男としては縮み上がるほど怖かったし、ドアは開けたら閉める。電気は付けたら消す。引き出しは開けたら閉める。そういった箸の上げ下げにとても恐ろしい人でした。
また、いわゆる職場で言うところの「報連相」(報告・連絡・相談)には、社会経験がとても長い女の人でしたんで、そこんところも手厳しく、もし連絡不徹底があったなら、同じく烈火の如く怒られた経験がありました。
例えば、親に無断でスーパーマーケットでアイスを買い食いしたならば、玄関ドアから子供を閉め出すとか、親に無断で電車で一人百貨店から帰って来たら、心配余って怒鳴られるとか、高校生の頃、千葉県から兵庫県に無断で新幹線で帰郷したら、翌日始発の新幹線で連れ戻される、一言も口を利かないなどなど。
明治女に育てられた昭和一桁の女性って、息苦しいほど躾に敏感で、張り倒すとか殴られるということはなかったんですが、言葉でチクチクとやられる針のむしろね。あれは死ぬまで恐ろしかった。
そういう経験を、今の若い衆は、経験して来なかったのかな? そのまま大人になったのかな?
なんせ、僕が弱っていようと、病気だからって、手加減せんかったですねえ。震え上がるほど、長男に対しては、容赦なく厳しかったですねえ。でも、そこは実の親子。愛情も一杯注いでくれました。ただし、不躾な行動に出ると、無言で圧をかけて来る場合もあって、恐ろしかったです。大事な一人息子のために、親父の暴力に対しても、黙って耐えてくれました。身を挺してかばってくれました。今ですと、家庭内暴力で訴えられても、離縁状を叩きつけてもおかしくはない状況でも、黙って女の人は耐えてくれました。
このように、飴と鞭を使い分ける教育のおかげで「真面目くん」と言われるぐらい、厳しく育てられました。また、理不尽な上司に対しては「非暴力不服従」という手も教えてくれました。そういう経験を、今の子は、大事にされ過ぎていて、経験していないのかな?
という愚痴を、ここで書いてみました。ではでは(・∀・)ノ
パソコンのお医者さん スパルタ教育で大きくなりました ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝
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