18歳の時に、PC98と一太郎をセットアップしてあげた時のことです。よそ様のパソコンを触るのは、とても緊張しましたが、喜んでもらえて良かったです。これは、1988年の夏、千葉市中央区でのことでした。バッチファイル1個作るだけが仕事だったんですけどもね。
あれから、家の事情で、兵庫県尼崎市に来て、知らない街で「ダメ、ダメ!」と会社の上司に言われて凹み、転職した印刷会社が倒産し、情報技術者に返り咲こうとしたものの、ホワイト企業を身体の不調(精神面)でアタマくらくらして辞めて、次に行った会社がブラック企業で「定時になったらタイムカードを押すように」から「タイムカードを廃止しました」という風になり、どこまでも仕事をこなした結果、おかしな頭痛から「統合失調感情障害」になり、現在に至ります。
大阪の老人に「お前んとこのパソコン、めいで(故障して)もうたやないか、どないしてくれんねん!」と行く先々で怒鳴られて、上司の無理解もあり(放置されて)自律神経失調症→神経症→統合失調感情障害になって現在に至ります。
そもそも、何でCS(カスタマーサービス)をしようと思ったのは「ありがとうね!」の一言が欲しいだけだったんです。
それ以来、ど素人を相手にすると、神経を害する。ど素人を相手にすると、自損事故まで相手の所為にしやがる。良く考えてください。レスキューに来たJAF(日本自動車連盟)のレッカー車に対して、果たして文句を言いますか? 相手の神経メタメタにするまで罵倒し倒しますか? よーく考えてください。
まあ、ろくでもない企業でした。いや、いまむしろ、いま難治性の疾患になったおかげで、公費で暮らす自由を得られているのです。おかずやごはんに事欠く有様ではあるけどもね。
お年寄り、特に戦中派は、高い要求に、低い対価を払い、決して他人を褒めるようなことはしませんよ。その子供たち、団塊ジュニアも、同じことが言えます(上司となった人間がそのように考えてしまう)そうして、歴史は繰り返し、ということが起きます。
なので、どんな小さいことでも「ありがとう」を言ってもらえると嬉しいし、押し売り以外には、僕は必ず「ありがとう」というようにしています。
ではでは(・∀・)ノ
パソコンのお医者さん 踏まれて強い草の根の ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝
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