どうも(・∀・)ノ Udemyで講座を開くことになるかも知れない、という以前に「あれ? そう言えば僕自身は、どうやってネットワーク方面に詳しくなったんだっけ?」という、自分自身の原点みたいなものについて、薄っすらとした記憶の中から掘り起こし、とりあえずまとめます。
今を遡ること、1980年代末期、僕は、千葉県立千葉工業高等学校・情報技術科の生徒でした。趣味的なパソコン通信はさておき、クライアント・サーバー機って、当時は、NECのN5200model05があり、どこにルーターを隠してあったのか不明ですが、サーバーが、NECのミニコンのサーバー、つまり当時は、MS-DOSのサーバーだと記憶しています。40台のクライアント機が、1台のサーバーにぶら下がっている環境で、確か10Base2だったと思います。テレビアンテナ線みたいな同軸ケーブルに、NIC(ネットワークカード)から出ている、歯のような丸いコネクタにがちっと噛ませて、コネクタを配線に向かってかしめているようなネットワークでした。当時は、インターネットなどというものは、学校に存在しませんでしたので、細々としたテキストデータ(主にプログラムのソースファイル)をやり取りするだけの、簡便なネットワークでした。一度に一対一の通信しかできなくても、やり取りされる信号の量が少なかったので、それで事足りる有様でした。
それからしばらくは、ネットワーク環境から遠ざかっていたのですが、勤めていた印刷会社が倒産し、それきっかけに入ったポリテクセンター兵庫・情報システムサービス科(職業訓練校・当時)のアビリティコースの訓練でいろいろなことを知り、インターネットにも触れつつ、LAN構築もやり、当時の Fedora Core 3 サーバーを立ち上げたり、卒業研究が、SambaとBINDを使いつつ、Windows NT4 Server で、みんなが作ったホームページを見られるようにしよう! というのが卒業研究でした。NICを2枚差したかどうか、ちょっと覚えていませんけどね。そんな感じで、少しずつ、徐々に詳しくなって行った、と記憶しています。
そこで学んだと同時に、職業紹介みたいな、職安の出張所みたいな感じの学び場でしたので、そこから大阪梅田(芝田町)のソフトウェア開発企業にお勤めするようになり、社長さんのマブダチの貿易会社のインターネットサーバーを立ち上げることになり、不愛想な先輩をDNS設定で困らせることになったのですが、パソコンサーバーに、Windows NT4 Server をインストールし、専用線(ISDN)でつなぐ段取りを整えたのはいいんですが、Windows用のBINDを使わない場合のDNSって、どう作るかというと、ルートディレクトリに「dns.txt」とかいうテキストファイルを拵えて「IN SOA なんとかかんとかarpa」で始まるような、なんか得体の知れないテキストファイルを先輩社員が拵えていたのを覚えています。Windows用のBINDを使うことを失念していたので、当時の先輩ごめんなさい。あのですね、Windows Server にActive Directory(一種のDNS兼用)が出来たのは、Windows 2000を待たないといけなかったんです。あっちの方が、まだしも簡単です。ある程度、OS任せに出来ましたので。
まだあの頃は、インターネットってあまり普及しておらず、のんびりとした時代でしたので、今のようなセキュリティソフトを入れなくて良かったんです。今みたいに、世界中からカネとクレカ情報欲しさにメールがやって来る時代ではありませんでしたので、せいぜい入れてトレンドマイクロさんのソフトウェアです。昔懐かしい「ニムダウイルス」で、日本中のオンプレミス環境のサーバーが攻撃を受け、ドキュメントやOSを無茶苦茶にされる事件があったばかりだったのです。あれ以来、さまざまなコンピュータウイルスが開発されては、守るといういたちごっこが始まったわけなんです。
あれから、どうしたっけ(笑)そうそう、自称「システムインテグレーター」に入社し、さまざまなパソコンの修理を手掛けました。今だからこそ理解できるのですが、Windowsのアイコンが勝手に動く謎。あれは、古いWi-Fiルーターを使用していたために脆弱性が出来、ファームウェアアップデートもされていなかったため、どこかの誰かにパソコンを好きにされていたことが説明できます。
月間140時間以上のサービス残業(今で言う過労死ライン越え!)があり、土日出勤も当たり前の、労働基準法改正前の職場でしたので、こっぴどく自律神経失調症をこじらせて、未だに治癒しない、という感じで20年目を迎えています。僕の社会復帰はいつになるんでしょうか。
なんだか、やーなことも思い出しましたが、そういう過去があったのです。
当時は、Cat5のイーサネットケーブルを自作していました。「茶白、茶、緑白、緑……」のように、イーサネットケーブルの被覆を剥いては、RJ-45コネクタに入れて、かしめ工具を使って固定するといった、のどかな時代です。これのいいところは、好きな長さに切って使える、無駄な配線を這わせない、などの利点が多かったものです。都度、ケーブルテスターを使って、回線抵抗値が少ないと「やった!」という達成感もありましたね。
そうそう、ある時、東京都新宿区のIT系企業で、1日だけ、シスコシステムズのスイッチやルーターの実機を触らせてもらえたことがあり、弾丸バスツアーで上京し、0泊2日で阪急バス(復路は京王バス)で行って帰ってきたこともありましたね。まだ、バスタ新宿が出来る前の、ヨドバシカメラ新宿の近所のバスターミナルで帰りの乗車券を買ったものです。
昔話をすればきりがありませんが、ひたすら実機を触って覚える、その合間に買って来た書籍を読む、みたいな生活が長かったので、まあ、そこそこ詳しい、ぐらいのことは言えるのです。上を見たらきりがないし、下を見てもきりがないからです。
……という感じで、僕は常に「現場の人」であり、教科書ではなく、実地でネットワークに詳しくなってきたタイプですので、とにかく触って覚える。これに尽きるのです。
ではでは(・∀・)ノ
パソコンのお医者さん 常に現場に出ていた人 ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝
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