どうも(・∀・)ノ なんで「人月見積もり」で「何人月投入」とするのか。なぜこの悪弊が日本国で残るのかと言うと、プログラムを開発するってことは、マンパワーが必要ですよね。そこで、昔の人は考えました。「建物を建てる時と同じように考えれば、非エンジニアの人でも理解しやすいんじゃないのかな?」と考えたことに由来するものです。そうすれば、非エンジニアの発注者でも「あ、建物を建てる時と同じようにおカネを払えば良いのですね」と理解がしやすい。そこで、主に、日本国では、未だに(朝日新聞社が言うところの)「ゼネコン体質」が残っているのです。もちろん、プラント建設の時のような「工程表」も存在します。また「工数」という言葉も存在します。
プログラムを組むという作業は、これに留まらず、1社のエンジニアだけでは賄い切れない仕事量がやって来たとします。会社に依っては、得意・不得意の分野もありますからね。そこで、昔の人は考えました。「そうだ、ゼネコンと一緒じゃねえか?」ってね。例えば、コンクリートの躯体を組む会社。窓枠を工事する会社。水道管を敷設する会社。電気工事をする会社などなど、状況に応じて、役割分担を決めた方が、非エンジニアに理解がしやすい。建物を建てる時と同じ考え方になぞらえた方が理解が進みやすい。結果的に、おカネも出しやすい。積算しやすい。そういう側面があるのです。
逆に、エンジニア側にしてみれば、下請け構造が一向に直らない。アジャイル開発などに適さない。そこに、下請けいじめが生じるなどの問題があるのです。「なぜおれたちが、元請けの言い値で働かなきゃなんないんだ」とか「ここで、どれだけ頑張ってもギャラはおんなじ」と考えるのも、無理もないことです。
これが、この構造が、日本国のプログラム開発の質的なものを下げている、若手エンジニアのやる気を削いで、果ては、早く楽隠居したいという考えから、FIRE(ファーストリタイア)を助長しているのであれば、何だか悲しいことですね。何が情報立国だ、という気がしないでもありません。これは、悲しい出来事です。
しかも、プログラム受託開発の現場って、ほとんど人材派遣のようなものです。会社に属していながら、社外秘というただそれだけの理由で、発注元に行かなきゃなんない。否が応でも。何で、会社に勤めながら、会社の外にわざわざ出張るのか。よく分からないと思うのも当然のことではないでしょうか。
請け負った人はいいですよ。派遣する側は気楽なもんですよ。カネ勘定さえ済めば、おカネは自動的に懐に入って来る。鵜匠のように、椅子をぬくめていればいいんだから。それに引き換え「昨日はこっち、明日はこっち」と、働かされる身になって考えてみてください。人間関係の構築から何からゼロから始めないといけない。そんな人間関係も、請負元企業との関係が切れたらそれで最後。一期一会どころではありません。
プログラムを組んだ人が、そこからいなくなるということは、プログラムの開発に際して、ある面無責任でいようならいられます。後になって火を吹こうが何が起きようが、もう切れてしまった関係は、おいそれと同じメンバーを集めるのが難しいのです。そういうデメリットが、人月見積もりにはあるのです。ですので、ある面、情報技術者個人個人のモラルに任されている側面があるのです。
ここで、外人さんが書いた本をご紹介します。「人月の神話」という、有名な本です。日本語訳されていますので、比較的読みやすいとは思いますよ。
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僕は「なんで?」って思うことを、過去にいっぱい飲みこんで来た人間なので、未だに「なんで?」って思うんですけどもね。プログラム受託開発会社にお勤めするのには、それなりの覚悟と割り切りが必要なように思いますよ。
あまり、ヤングマンに恐怖心を植え付けるのも、おじさんとしてはどうかとは思ったのですが、勘定系のプログラマで、顔面蒼白で母校に戻って来た人を知っています。また、入院先の病院の隣のベッドで、やはり勘定系プログラマで、胃腸をやられて、胃が半分になった人を、僕は知っています。誰とは言わないけどね。相当神経を遣うお仕事だ、ということだけは、知っておいて欲しいのです。
ではでは(・∀・)ノ
パソコンのお医者さん 人月の神話ねえ…… ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝
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